大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和42年(ネ)1266号 判決 1969年8月28日

控訴人(債権者)

西垣照彦

外七名

代理人

尾崎陞

外四名

被控訴人(債務者)

中村型機株式会社

代理人

牧野寿太郎

主文

本件控訴をいずれも棄却する。

控訴費用は、控訴人らの平等負担とする。

事実<省略>

理由

一被控訴会社が肩書地に本社工場を、千葉市長沼町三三六番地に千葉工場を有し、金型および工作機械の設計、製作ならびにこれに附帯する事業を営み、もつぱら日産自動車の下請会社である訴外鬼怒川ゴム工業株式会社(以下「鬼怒川ゴム」という。)から同社で製作する自動車各種部品の金型(ゴムスポンジ型、三角窓枠型等)の注文を受け、その生産と販売を行つてきたものであること、控訴人らがいずれも被控訴会社に雇傭されていた従業員であつて、前記千葉工場に勤務していたことおよび被控訴会社が控訴人らを含む全従業員に対し、昭和四一年五月一九日付をもつて同日解雇の意思表示をしたことは、いずれも当事者間に争いがない。

二そこで、右解雇の意思表示の効力について判断する。

(一)  昭和四一年五月九日朝被控訴会社がタイムカードを引き上げ、従前の被控訴会社の代表者中村栄作が控訴人らに対し、同月六日の被控訴会社の株主総会において解散決議がなされ、清算人が選任されて工場を閉鎖する旨告げたこと、これに対し控訴人らが結成した労働組合の役員らが控訴人ら主張の書面を提示し、組合結成の通告をするとともに待遇改善の要求をして団体交渉の申入れをしたこと、清算人生井実が同月九日工場内に「清算人の許可なく出入りを禁ず」と表示した文書を提示したこと、同月一〇日右組合役員らが被控訴会社に対し、要求書と団体交渉申入書を交付し、団体交渉がなされ、その際右組合役員らが中村栄作に対し、被控訴会社の経営内容、解散の意図などにつき問いただしたところ、被控訴会社は当時黒字経営ではあるが、その売上げが減少してきているので、三か月以前から工場閉鎖を考えていた旨告げ、右役員らの要求した被控訴会社の決算書類等の提示に応じなかつたこと、同月一三日右役員らと被控訴会社との間で団体交渉がなされたこと、その後も役員らと被控訴会社との間で工場再開、事業継続につき数次の団体交渉がなされたこと、被控訴会社が解散決議をしたという同月六日当時黒字経営であつたことおよび解散登記のなされた同月九日後も被控訴会社の従業員募集広告が京成電鉄の千葉駅、船橋駅に掲示されていたことは、いずれも当事者間に争いがない。

(二)  <証拠>弁論の全趣旨を総合すると、つぎのような事実を一応認めることができる。

1  被控訴会社の事業は、もと訴外中村栄作が訴外杉田光および同人が役員をしている鬼怒川ゴムの下請としてその後援のもとに個人で経営していたものであつたが、中村栄作は昭和三六年一二月資本金二五〇万円の株式会社たる被控訴会社を設立して被控訴会社に従前の個人事業を引継がせた。その代表取締役に同人が、取締役にその妻中村君および君の兄弟新正安市が、監査役に前記後援者の杉田光がそれぞれ就任した。その資本金は昭和三九年一〇月一三日五〇〇万円に増資され、同月二〇日杉田が監査役を辞任するとともに阿部半吉が監査役に就任し、爾来右の者らが重任されて昭和四一年五月六日に至つた。

2  被控訴会社は、当初、すなわち資本金二五〇万円当時全発行株式五〇〇〇株のうち三二〇〇株を中村栄作が、残余を妻中村君を始めとして中村栄作の縁故者が持つており、五〇〇万円に増資してからは、全発行株式一万株のうち八四〇〇株を中村栄作が持つていて、その生い立ちからいつても、同人のいわゆる個人会社であつた。会社経営に移行してからも前記鬼怒川ゴムの後援をうけ、その下請として、仕事量のほとんどすべてを同社からの注文によつていた。

3  その業績は、鬼怒川ゴムの発展につれて次第に上り、同社が千葉市に工場を建設するに伴い、被控訴会社も昭和三六年に鬼怒川ゴムの右工場の近くに前記工場を建設した。昭和四〇年五月には工場の増築を行つた。その敷地の面積は約一二五〇坪、工場建物の面積は約二〇〇坪になり、また、同年一一月には東京都から三〇〇万円の融資を受けて新しい機械を購入したし、従業員も次第に増えて二十数名に達し、なお増募の体勢をとつていた。

4  もともと鬼怒川ゴムがおもちやを主体としたゴム工場であり、そのための金型を中村個人、後には被控訴会社に発注していたのであるが、鬼怒川ゴムが自動車用部品を多く扱うようになつてからは、被控訴会社に注文する金型も自動車部品製造用のものとなつてきた。おのずから製品の精度が要求されるようになつたが、被控訴会社は歴史も浅く、技術も不充分であつたため、鬼怒川ゴムから苦情や返品が出ることもあつた。しかしながら一方では鬼怒川ゴムとしてもその業種からいつて金型が重要な地位を占めるのではあるが、企業内にその設備を持つことの経営上の不利益からして業務上同社に従属している形をとつていた被控訴会社を保護育成していたのである。そして、昭和四一年一月には被控訴会社を鬼怒川ゴムの専属金型工場に指定し、一層積極的に技術上の指導および資本の授助を与えることを約し、これを実行していたし、被控訴会社もその指導の下に労使が一丸となつて技術の向上に努めていた。

5  ところで、被控訴会社の仕事はその受注量および納期の点から忙しく、労働条件は相当苛酷になつていた。すなわち、祝祭日は休日となつておらず、日曜出勤も度重なり、残業はほとんど当然のように行われ、徹夜就労が行われることもあつた。しかし、控訴人ら従業員は労働組合を結成しておらず、たんに親睦会があるだけで、これは従業員の旅行、慶弔などについて活動するだけであつて、労働条件の向上について被控訴会社と交渉するような性格のものではなかつた。したがつて、労働条件について労使の交渉が行われることはほとんどなかつた。

6  控訴人らは、いずれも現場において生産に従事していたものであるが、かかる状況下において、その労働条件に不満をいだき始め、その向上をはかるため、控訴人西垣照彦らが中心となつて労働組合を結成することとなり、総評全国金属労働組合千葉地方本部の指導をえて、昭和四一年四月二四日ごろから従業員に組合加入を勧誘し、同年五月二日ごろには、被控訴会社の千葉工場全従業員二四名名が組合に加入する旨の申出をするに至つた。このような事情であつたため、控訴人西垣らは、結成される組合は当然総評全国金属労働組合に加入すべきものと決めていた。このような従業員の動向につき、中村栄作、新正安市、阿部半吉らは、従業員が同年四月中旬ごろから快く残業に応じなくなつたことなどからこれに不審を持ち、労働組合が結成されることをうすうす感知していた。

7  そこで、中村栄作は、親会社たる鬼怒川ゴムの杉田光に相談したところ、同人から被控訴会社で結成される労働組合に加入すれば鬼怒川ゴムとしては被控訴会社に注文を継続することができない旨いわれたので、受注量のほとんどを依存している鬼怒川ゴムにそのような態度に出られ、一方では控訴人らが前記労働組合に加入することを予定している状況下においては、被控訴会社の将来の見透しは暗いものと判断するに至つた。かくして、中村栄作は、現在は黒字であるが、今後組合が結成されそれが鬼怒川ゴムの嫌悪する全国金属労働組合に加入した状態で会社の経営を行つてみても、そのひつぱくは必然であるから、このまま経営を継続することは不得策であるとして、会社を解散することを決意し(不当労働行為意思の存否については、後に述べる。)、同月二五日被控訴会社の取締役会を招集し、同日取締役の全員一致で解散する旨の決議をし、さらに、同年五月六日臨時株主総会を開催し、総株主九名(一万株)のうち五名(九二〇〇株)が出席し、出席株主全員一致で解散決議をするとともに、清算人にあらかじめ中村栄作において依頼し、就任の承諾をえていた生井実を選任した。右生井実は個人タクシーを営んでいるものであつて、会社の清算等の事務の経験がある訳のものではなく、たんに中村栄作の友人というだけの理由で選任されたものである。

8  このようにして、解散が行われたが、当時被控訴会社の経営は黒字であつたし、賃金の支払の遅滞もなく、鬼怒川ゴムからの注文も沢山あり、従業員の仕事量も従前と変わるところなく残業の必要があつたし、同年五月六日には京成電鉄の千葉駅および船橋駅に従業員募集の広告を掲示し(五月一九日まで掲示)たほか当時公共職業安定所にも従業員の紹介を依頼していた。

9  そして、中村栄作らは、解散決議をした日の翌日である五月七日控訴人らに対し、控訴人らが労働組合を結成しても総評全国金属労働組合に加入すると親会社たる鬼怒川ゴムからの注文がとれなくなるから同労働組合には加人しないようにしてほしい旨、もし同労働組合に加入すれば会社は閉鎖せざるをえない旨伝え、翌五月八日にもその旨強く要望した。

10  一方控訴人ら従業員は、予定どおり同日組合結成大会を開催し、所定の手続を履践して労働組合を結成し、執行委員長に控訴人西垣照彦が選任されたが、その際前示中村栄作らの要求を検討した結果、総評全国金属労働組合千葉地方本部の勧めもあつて、当面被控訴会社を刺戟することを避けることとして同労働組合への加入は見合せることとした。

11  そして、同日中村栄作に対し口頭で組合結成を通告し、さらに前記労働組合には加入しない旨伝えた。これに対し、中村栄作らは口頭の約束だけでは不充分であるとして、控訴人らに対し、同日同労働組合に加入しない旨の書面を作成するよう要求したが、控訴人らがこれに応じなかつたので、同労働組合に加入しないとの控訴人らの言明に疑念を抱き、かくては既定方針どおり解散手続を実行するほかないものと考えるに至つた。

12  かくして、翌五月九日に解散、精算人生井実就任の各登記がなされ、千葉工場のタイムカードが引き上げられ、鬼怒川ゴムからの注文品は完成品はもちろん未完成品もすべて同社へ運び去り、生井実が同工場に来て清算人として行動しはじめたので、控訴人らは非常に驚き、控訴人西垣照彦ら組合役員が中心となつて被控訴会社に待遇改善等につき団体交渉を求め、以後引き続いて被控訴会社側の中村栄作、新正安市、阿部半吉、生井実らと団体交渉をした。

13  右団体交渉において、組合役員らは解散の理由をたずね、強く事業の再開を要求したが、中村栄作は営業の不成績による経営意欲と自信の喪失を理由に右の要求を拒絶した。これに対し、組合側は、いまだ被控訴会社の経営は黒字であつてなんら解散の理由のないことを強調し、被控訴会社の決算書類等の提示を要求して事業の再開を迫つたが、中村栄作はこれに応じなかつた。

14  被控訴会社の清算人生井実は、五月一九日付の書面で被控訴人らを含む従業員に対し会社は解散したからとの理由で同日解雇の意思表示をするとともに予告手当金の受領を催告したが、これに従業員全員が応じなかつたため、同年六月二二日これを千葉地方法務局に供託し、さらに一方では解散に伴う諸手続を実行した。

15  事態がこのように変つたので、控訴人らの労働組合は総評全国金属労働組合に加入し、その千葉地方本部の応援をえて団体交渉をつづけたが、その目的を達することができなかつた。

16  控訴人らは、解散決議は控訴人ら組合員を排除するためにとられた偽装のものと考えていたので、解雇の意思表示を受けて後、清算手続が進行することを防止するとともに労働組合員の結束を強めるため被控訴会社の千葉工場を占拠し、当初生活の糧を失業保険、控訴人らを守るためにもうけられた後援者の援助に求めていたが、間もなく、自らの生計費を獲得するため控訴人らの労働組合の別名としての合資会社西垣製作なる名のもとに自ら他から注文をとつて同工場で金型の生産を開始し、現在に至つている。

17  右生産のために使用される電力は被控訴会社名義のものであり、控訴人らが占拠を始めた当時被控訴会社は東京電力にその撤去方を申請したが、控訴人らの妨害に会つて実現せず、結局被控訴会社は撤去をあきらめる代わり使用電力料金を組合側に負担させることにし、組合側もこれを了承し、以後組合側がこれを負担している。その料金は月々約3.4万円であつて、これは被控訴会社が解散決議前に生産をしていた当時とほとんど変らぬ金額である。

18  このような状況にあるので、被控訴会社は解散決議をしたものの、清算手続はほとんど進展せず、従前のまま放置されているが、会社債権者らから苦情がでるという状態でもない。被控訴会社は、控訴人らの占拠を承認している訳ではないが、積極的にこれを排除しようとしたことはなく、また近い将来そのような動きを示す気配もない。これに対して、控訴人側は、解散決議は虚偽仮装であつて無効であるとの主張を背景として右占拠を続けているのであつて、解散決議は有効であるとして清算手続を進行させようとしている被控訴会社に対し右工場を返還する意向は全くなく、もとより返還する気配を示すこともない。

以上の事実を一応認めることができ、右認定に反する<証拠>は、にわかに採用できず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

三控訴人らは、解散決議は偽装であつて実際は不存在である、かりに存在していても解散の真意はないと主張する。しかしながら、前叙のとおり解散決議の存在は一応これを認めうるのである。もつとも、右株主総会議事録たる前掲疎乙第二号証には右総会は昭和四一年五月六日開催された旨記載されているのに、前掲<証拠>によれば、被控訴会社清算人生井実は官報には同月九日開催の臨時株主総会の決議により解散した旨の公告をし、控訴人らに対する解雇通告書にも右同旨の記載をしていることが疎明されるので、その間にそごが生じているが、前認定のとおり、被控訴会社が解散の登記をしたのは五月九日であるから、関係者が右登記の日を解散の日と誤認して右官報および解雇通告書にその旨の記載をしたとも考えうるのである。右疎乙第二号証は前認定のとおりの株主が出席のうえ解散決議をした旨の記載があり、それには被控訴会社の取締役たる中村栄作、中村君、新正安市らの記名押印があり、なお、株主佐藤十郎、同藤田泰司の委任状(前掲疎乙第三号証の一、二)も添付されているのであつて、もともと被控訴会社は中村栄作がその株式の八四%を持つている同人の個人会社であるから、その運命は結局は中村栄作の意思いかんにかかつているといつても過言ではなく、その中村栄作自身が解散の決意をかためていることが前認定により明かに認められる以上、右株主総会議事録が存在し、しかもそれにもとづく解散登記が行われているのに、官報の公告等における多少のそごをもつて右決議が不存在であるとすることは困難である。また、前記のとおり、右株主総会の日の翌日たる同月七日に中村栄作が控訴人らに対し、全国金属労働組合に加入すれば会社を閉鎖する旨述べているのであつて、その際中村は同月六日の株主総会のことを持出してはいないのであるが、この種の交渉の過程において事実が常に正確に述べられるとは限らないから、右の事情が解散決議の存在を疑わしめるに足るものとはいえない。なお、同月七日に労使間で右のような交渉が行われたこと、当時会社は黒字であつたこと、従業員の募集をもしていたこと等の諸点からすれば被控訴会社の解散が経営上の観点から余儀ないものではなかつたのではないかと疑われるのであるが、それだけでただちに解散決議の存在を疑わせるものとはいいえない。以上の事実は右解散決議の非真意性を疎明するに足るものではなく、他にこれを認めるに足る疎明はない。

四つぎに控訴人らは、右解散は組合排除を目的とするものであるから、企業廃止自由の濫用で、憲法第二八条、労働組合法第七条第一、三号に違反し、同時に公序良俗に違反して無効であると主張する。後に述べるとおり、被控訴会社の本件解散は組合を嫌悪し、これを排除することを動機としているといいうるのであるが、企業を廃止するか否かは株主の自由に委されているところというべきであつて、労働者の団結権の保障は企業の存在を前提とするものであるから、解散決議の際反組合的意図が存在していたとしても、そのことの故に決議が無効となるものではないと解するのを相当とする。叙上に反する控訴人らの主張は採用できない。

五さらに、控訴人らは、解雇は不当労働行為であつて無効であると主張する。

(一)  解散当時の被控訴会社の経営の状態についてみるに、前認定の事実によれば、被控訴会社は鬼怒川ゴムの下請会社として発展してきたものであつて、受注量、従業員の残業時間ともに多く、工場建物の増築、新機械の導入、従業員の増募等を行つていたものである。技術上の問題がない訳ではなかつたが、鬼怒川ゴムの積極的な指導のもとに労使一丸となつて技術向上のための諸方策を講じていたのであり、鬼怒川ゴムも被控訴会社を自社の専属工場として育成していくべく約していたのである。したがつて、その経営は黒字であり、解散決議当時も黒字であつた。もつとも、前掲証人中村栄作は、「経営に対する意欲と自信を失いはじめ、昭和四一年二、三月ごろには解散を考えるようになり、同年四月ごろその決意をかためた」旨供述するが、右に述べたところからすれば被控訴会社の経営にはいちじるしく困難といえるような問題はなく、なにしろ努力次第では将来の一層の発展が期待されていたのであり、経営の先細りが予想されるような客観的状勢にあつたとはいえないのであつて、右中村栄作の供述はただちに採用しがたい。ただ控訴人らが結成を意図していた労働組合は全国金属労働組合に加入することが予定されていたところ、中村栄作は鬼怒川、ゴムの杉田光から控訴人らの労働組合が右全国金属労働組合に加入すれば注文を中止するといわれ、これが本件解散を決意した動機となつたことは前認定のとおりであり、たしかに、被控訴会社が鬼怒川ゴムからの受注がなくなると当面経営が成立たなくなることは明らかであるが、さりとて、右解散決議の時点において控訴人らは労働組合を結成していたものでも、全国金属労働組合に加入していたものでもなく、また、現実に鬼怒川ゴムからの受注がなくなつていたものでもないから、右解散はまことに唐突といわざるをえないのであつて、本件全疎明によつても、解散にあたつて有利な買手があつたとか、清算について具体的な方法を検討した形跡もなく、かつ、清算人に選任された生井実は、清算事務等にはなんの経験もない個人タクシーの運転手たる者であつて、清算人としてかならずしもふさわしい人とはいえないのである。しかして、解散のための取締役会が開かれたのは昭和四一年四月二五日であるが、これは丁度控訴人らが労組結成の動きを見せていた時期と一致しているところ、当時中村栄作ら経営者側は右結成の動きを察知していたし、同年五月六日に解散決議をした後同月八日の組合結成大会を前にして同月七、八日の両日中村栄作らに対し全国金属労働組合に加入しないよう、かつ、加入すれば会社を閉鎖するなどと働きかけているから、同月六日の右解散決議は、むしろ同月八日に予定されていた組合結成大会を前にして既成事実をつくつて労働組合の結成、運営を牽制しようとした意図をうかがいうる。そして、同月九日解散登記を経たが、被控訴会社は、まだ控訴人ら従業員の解雇も行われていないのに、ただちに、従業員のタイムカードを引き上げ、立入禁止の表札を掲げている。これら一連の事実からすれば、被控訴会社、具体的には、その支配者であり、代表者である中村栄作が解散の決意をしたのは、従前労働組合のなかつた被控訴会社に組合ができることおよびその組合が全国金属労働組合に加入することを嫌悪し、これを排除するためのものであつたと断ぜざるをえない。

(二)  ところで、会社の解散はかならずしもただちに労働者の解雇事由となるものではない。解散と解雇は一応別個のことであつて、解散が有効と認められても、それに引き続いて行なわれた解雇が不当労働行為としてその効力を持ちえない場合がありえないわけではない。たしかに会社は解散により清算事務に入るから必然的に従業員解雇の事態が生ずべきことは一応これを肯定しうるが、本件においては、前叔のごとく、五月六日の解散そのものが組合排除の目的をもつており、解散後においても控訴人らの組合が被控訴会社の要求を入れて全国金属労働組合に加入しないならば再開する意向を有していたのである。しかも、会社側は五月九日の解散登記後まだ従業員の解雇も行われていないのに従業員のタイムカードを引き上げてその立入を禁止し、その後行われた組合側との団体交渉継続中の五月一九日にその大部分が組合員である全従業員を同時に解雇したが、それの解雇理由は会社が解散したからというだけで、具体的な清算手続の進展との関連は明らかにされなかつた。前認定の事実によれば、被控訴会社は中村栄作が個人で築き上げた会社で、相当の業績を上げており、本件組合の結成以外にさしたる問題がなかつたから、解散後の本件解雇当時においても控訴人ら組合側がその結束を弱め会社側の要求を入れることになれば、中村栄作が解散した会社を継続することになんの障害もなかつたということができるし、むしろ、そのような状態が現出すれば会社を継続すべく望むのが自然といえる。そして、中村栄作が継続を欲すれば、前叙のところからすれば、その決議がたやすく実現することも多言を要しない。これらの事情を総合すれば、会社側は、解散から解雇にかけ一貫して反組合的意図を有していたといえるのであつて、本件解雇は解散後の清算における必然的なものというよりもこれをもつて組合排除の手段とする点に重点があつたとみうるのである。したがつて、本件解雇は不当労働行為として無効のものといわなければならない。

六被控訴人は、控訴人酢崎正および同野本信正を除くその余の控訴人らは昭和四一年六月一日、右控訴人二名は同月六日本件解雇を承認し、失業保険の給付を受けるため離職票に記名捺印して公共職業安定所に提出したと主張するが<証拠>によれば、控訴人らは、本件仮処分申請(同月二日受付)後の控訴人らの生活を維持するために失業保険金の給付を受ける必要があつて被控訴人主張の日にそれぞれ右離職票を受領しこれを公共職業安定所に提出したにすぎず、同月二日には解雇の無効を主張して本件仮処分申請をしていることを認めることができるから、控訴人らの右行為をもつて解雇の承認と目することはできない。

七そこで、本件仮処分の必要性について判断する。

(一)  まず、賃金相当の金員の給付を求める部分についてみるに、前記疎明された事実によれば、控訴人らは、本件解雇後一時失業保険金の給付あるいは後援会の援助で生計をたてていたが、まもなく占拠している被控訴会社千葉工場でその生産設備を利用して合資会社西垣製作なる名のもとに自ら金型の生産をしており、その生産のための使用電力料金が解散前の被控訴会社の支払額とほぼ等しいところからみれば、その生産量は相当のものと思われるから、その収益は控訴人らの生活を補いうるものであると一応認めることができる。そして、右生産は本件口頭弁論終結当時まで続けられており、被控訴会社側も右時期まであえて電力の撤去もせずに工場の使用を控訴人らの意のままに任せていた訳である。近い将来に、被控訴会社が控訴人らの右工場占拠を排除すべき行動に出る気配もなく、控訴人らが右生産を中止して右工場を被控訴会社に返還する気配を示しているものでないことも一応認めうる。そうであつてみれば、控訴人らはさしあたつて生計費を得ており、当面その状態に変更をきたす可能性も少いといえるから、かりに金員の給付を求める緊急の必要性があるということはできない。

(二)  つぎに、解雇の意思表示の効力停止を求める部分についてみるに、前認定の事実によれば、被控訴会社は、解散した清算法人であつて、もとより解散前に行つていたような生産を行うものではないから、本件仮処分により解雇の意思表示の効力をかりに停止して控訴人らの従業員たる地位をかりに確立しても、とうてい控訴人らの就労の実現が期待されるものでもなく、むしろ、控訴人らは解散は無効であると主張して自ら工場を占拠して生産を行いつつ、被控訴会社が行うべき清算事務の遂行を妨害しているのであるから、その行動は清算会社の従業員たる地位の確立を求める本件申請とは矛盾しているといえるのである。もとより右の仮の地位の確立が控訴人らの右占拠を適法化するよすがとなりうるものでも、清算手続を排除する事由たりうるものでもなく、また、解散した会社を継続させることに意味を持ちうるものでもない。そして、控訴人らの賃金相当金員の仮払を求める仮処分の必要性がないことは前叙のとおりであり、控訴人らは、他に、右解雇の意思表示の効力停止の仮処分を求める具体的必要性についてはなんらの主張、疎明をしない。

八そうだとすると、本件仮処分の申請は必要性の疎明がないものというべく、かつ保証をもつて右疎明に代えることは適当でないから、右申請は失当である。よつて、右申請を却下した原判決は結局相当であつて、本件控訴はいずれも理由がないから、これを棄却すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九五条、第八九条、九三条第一項本文を適用して、主文のとおり判決する。(小川善吉 小林信次 川口富男)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例